ステテコは明治前からあったんだぞ。

ステテコは、親父の下着と思われ、軽んじられることが多い。そんなステテコのために、ステテコのオシャレのために、ファッションのために、俺は、筆を揮ってみる。

三遊亭圓遊が、ステテコ踊りを明治の高座で珍芸を披露し大人気を博した。その時、着物の下に着ていた白い下着が見え、それゆえステテコと呼ばれるようになったと言われる。

それは、それでいいんだ。たしかに現在の名称は、それが語源だろう。でもね、ステテコって名前がつく前から、その白い下着は存在してたわけよ。その時に、三遊亭圓遊が特注で、高座用に作らせたわけじゃない。じゃあ、その白い下着って何よって、「股引」つまり「ももひき」である。

これは日本の伝統的な下着だ。明治ごときのたかだか100年の歴史じゃないんだ。

三遊亭圓遊は、すばらしい落語家ではある。それを否定しない。
そして、ステテコという命名のキッカケを作った人ではある。
が、ステテコの父ではない。ステテコのオシャレ、ファッション リーダーではない。


ステテコの名誉のために、ステテコをオシャレ、ファッションとして捉える人々のために、ぜひ間違えないでいただきたいものだ。

うん、でも、もちろん、三遊亭圓遊師匠、本人も、ファッション リーダーなんて、呼ばれたくは、ないだろうなw

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